アフターマーケットを見つめて60年 自動車新聞社の歩み

『自動車新聞』の創刊

 1946年5月、創業者・秋吉大三が株式会社 自動車新聞社を設立。
 1947年、戦後の荒廃の中で『自動車新聞』の第1号が産声をあげた。
 当時の東京は、まだ一面の焼野原であり、あらゆる物資が不足していた。自動車新聞の第1号は配給の用紙も受けられず仙花紙を使い、タブロイド版8ページで発行された。
自車関係の業界紙は戦前より数紙があったが、戦時中の新聞雑誌用紙の厳重な統制と検閲下で強制統合か廃刊を強いられ、敗戦後も休刊したままであった。終戦2年にしての自動車新聞の創刊は業界に強烈な印象を与え、以後、続々と復刊されていく。
 さて、新聞事業の根幹は定期購読者である。当時の社員達は出来上がった創刊1号の新聞を抱えて東京の町を歩き、自動車の看板のある部品商、整備工場、部品メーカー、タクシー、運送業者の店先に飛び込んで新聞の購読を勧誘して回った。こうして足で歩いて獲得した購読者に支えられ、創刊5か月目で法人会社となったのである。
 当時は国産メーカーの自動車生産が本格化する前であった。そのため自動車関係の取材対象はアフターマーケットが中心となった。当社はわが国の自動車アフターマーケットの黎明期より、この分野に専門化した取材・報道活動を展開して来ている。

自動車部品展示会の開催

 当社が昭和20年代に取り組んだ事業の一つに「自動車部品展示会」がある。この展示会は自動車メーカー、部品メーカーにとっては、組付け部品、補修部品の品質と性能向上の面で、またアフター市場の流通商社にとっても相互の販売振興を図るという意味から画期的なものであった。
 第1回の展示会は創業の1946年7月6日から3日間、東京都中央区の京橋公会堂で開催され大変な盛況であった。最初の自動車部品展示会が大きな反響を得たので、同年11月には銀座松坂屋デパートの4階全館と1階ショールームを借りて第2回展示会を開催、会場は大盛況で、あまりの反響に7日間の会期を、さらに1週間延長した程だった。
 この部品展示会はその後、日比谷公会堂などに会場を移し徐々に充実していったが、1954年の第8回開催を境に、自動車工業振興会の主催で開催されることになった東京モータショーの部品館展示に継承されることになる。


デパートで開催された部品展示会(1946年)
部品展示会を訪れた高松宮殿下に
ご説明申し上げる当時の秋吉社長

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