わが国の戦後の高度経済成長期をリードしたのは、自動車や家電に代表される加工組立産業だ。大規模な設備を要する鐵鋼、石油・化学などの素材産業と異なり、膨大な数の部品メーカー、加工メーカー、組立メーカーの分業により成りたっているこの産業は、わが国の雇用確保の上でも重要な産業であった。
しかし、 21世紀はIT革命の時代であり、情報産業が時代をリードする。そこで「体質の古い加工組立産業は最新の情報ネットワークにより自らを変革しないと、生き残りは難しい」と言われてきた。こうしたIT革命教の使徒達は「自動車業界の方々は頭が古いですねえ。もう、自動車は家電製品と同じようなものだから、メーカーによる品質の差はありませんよ。消費者もブランドにこだわってないと思うのに、メーカーだけが頑固ですね。パソコン業界を見てください。世界中のメーカーが台湾や韓国の安い部品を購入し組立ているだけでしょう。自動車も直ぐに、そうなりますよ」と話していたものだ。
ところが 21世紀の希望の星であるIT産業が、このところ不振なのはなぜだろう。「ITバブル」なる言葉は、ITそのものは将来性のあるものだが、大きく発展する前に人々が過剰な期待をしたのでバブルが崩壊したのだと理由付けている。しかし、ハードの部分を受け持つコンピューターメーカーも不振ではないか。さらに、パソコンと同様に早くから海外生産を推進した家電各社が、全滅に近い状況なのはなぜだろう。
これに比べると自動車は、確かに国内生産は減少しているが、それでも、こんな狭いエリアで集中的に1000万台生産している例は世界にはない。輸出は減少したが海外生産が増えているので、2000年の日本ブランドの海外総生産は1663万台と、1990年のピーク時より 54万台少ないだけである。そして、頭の固いはずの、ブランドにこだわるメーカーのクルマが良く売れているのはなぜだろう。
やはり、自動車業界の人達が言っていたように「自動車はパソコンのようにはいかない」ということではないのか。パソコンのように中身の部品は同じで、箱とブランドだけ違うのでは、それこそブランドにこだわる顧客はいなくなる。競争は価格だけになってしまう。「安くなれば、それが一番いいではないか」という人もいるだろう。しかし選択肢が価格だけというのは消費者にとって幸福なことなのか。真に顧客に満足を与えているのか。
日本の自動車メーカーの部品内製率は 30%と言われており、欧米のメーカーに比べて外注比率が高い。しかし、日本の自動車メーカーはクルマの機能に関係する「エンジン」と「パワートレイン」については、こだわりを持って自社工場で組立てている。これに対して米国のメーカーは小型エンジンの開発を諦め、日本からエンジンを購入している。
欧米で進行しているモジュール化についても、日本のメーカーは懐疑的だ。これは自分達が販売する商品なのに、自分達がわからない部分(ブラック・ボックス)が発生するのを恐れるからだ。
部品の一つ一つは問題なくても、それを組み合わせる事で問題が発生することもある。特に自動車の事故は最悪の場合、人の命が関係するだけに慎重になる。
パソコンのように「部品の中身はわからなくても、機能が分かればいい。基準を満たす品質を満足する部品を組み合わせればいいんだ」という訳には行かないと多くの日本の自動車メーカーは考えている。
一方、世界には自動車メーカーの仕事は「開発」と「組立」と「販売」であり、それ以外の部分は部品メーカーに任せるという考えの会社もある。この方法だと「部品の組み合わせがアンマッチで事故が発生した時に、誰が責任を取るの?」という問題が出てくる。
開発を含めたモジュール化を推進した時に、その部分が原因でトラブルが発生した時、責任を持つのは自動車メーカーなのか、部品メーカーなのか。リコールの費用はどうするのか。フォードとファイアストン・ブリヂストンとの問題は、将来、発生するであろう、こうした問題を象徴しているようだ。
(取締役編集長・白柳孝夫)